先日、27歳になりました。
お祝いをしてくださったみなさん、ありがとうございます!
お誕生日は自分の気がつかないことをたくさん感謝の言葉とともに伝えてもらえて
とても幸せな日だと実感をしています。
この時期は毎年恒例でBlogを書いていました。
さて、そんな27歳の抱負を書こうかとも思ったのですが
実はお誕生日のちょっと前にとても悲しいことが起こりました。
でもそこから感じたことや学んだことがあるので、長くなりますがよかったらお付き合いください。
とても悲しい出来事。
それは
祖母が90歳で天国へ旅立ってしまったことです。
悲しすぎるのは身体に表れるのか、
普段はほとんど夢を見ずに熟睡しているのに
二日連続でものすごく悲くて傷つくような悪夢を見たり、
もう一日はすごく痛くて怖い悪夢を見たり。
体調も年間を通してさほど悪くなることはないのですが、
病気でもないのに腹痛で動けないほど痛くなって、頭も稼働しなくて寝込んだり。
悲しんでもなにも変わらないのに、散々な日々がありました。
祖母は私が大学4年生の6月に介護状態になってしまったので、思えばもう5年以上の介護生活。
そして最後の最後までお家で暮らしてくれました。
ほとんど要介護4の車椅子生活で、どんどん車椅子から一人で立ち上がることもできなくなってしまい、
意識がなくなり入院してしまった5月からは要介護5の寝たきりになってしまいました。
介護をしている家族も大変ですが、それより一番辛かったのは祖母本人だったと思います。
けれど祖母は、自分がどんなに大変でも辛くても、自分のことより人のことを思いやる優しい人でした。
それは人だけではなく、大好きなお花にまで注がれた愛情と優しさです。
お庭に咲くお花を見て、祖母が元気な頃は毎日何時間もかけて水遣りをして、
頻繁に肥料も与え、それは大事に大事に育てていました。
「おばあちゃん、歩けるようになったら何がしたい?」
と聞くと、よく答えていたのが
「お花の土を替えて、肥料をあげたいね^^」
と言っていました。
ちょっとずつボケが始まって「今日のお昼は何を食べたの?」と聞いて「あれ?なんだっけなー?」というような状況になっても、数週間前に私が
「親知らずの抜歯、痛そうで嫌だなぁ」と言っていた手術は覚えていてくれて
ある日突然、「手術は大丈夫だったの?」と聞いて覚えていてくれたり。
そのとき祖母も手術で控えているものがあったので
「お互い頑張ろうね」
と約束をしたこともありました。
祖母はお家が大好きで、あまりお外に出歩いたりせず、
相当な亭主関白の祖父のサポートをいつもしっかりしていて、家族をすごく大切にする人でした。
なのであまりお外にいくことが好ましくなく、デイサービスなども相当拒んでいたのですが、
さすがに家にひとりで長時間いるのは家族としても不安でたまらないので、ケアマネージャーさんにアットホームで小さなデイサービスを探してもらい、そこに数年間お世話になっていました。
通っていたデイサービスの方々は本当に親切で優しくて、
旅立ってしまった当日、祖母はデイサービスにいました。
お昼に意識を失ってしまい、デイサービスの方が病院へ連れてきてくれて、
私も急いで向かって到着をした後にケアマネージャーさんが来てくださったのです。
そのときに言ってくれた言葉で
「あやさん(祖母の名前)、本当に優しい方でみんなにすごく好かれていましたよ。
ボケが始まると、多くの人が怒鳴ってしまったり、恐ろしい幻想や幻覚を見てしまうのだけど、いつまでも人に優しくてね。
幻想でよくあるのが「泥棒が来た!」と言うけれど、
あやさんの幻想はすごく可愛らしくて「さっきね、小学生くらいの女の子が二人来て、さわやかな風が吹いたのよ」と教えてくれたんですよ。
私がお家へ訪問すると、いつも優しくて、
手元にある自分のお菓子を「どうぞ」と分けてくださって、本当に優しい方ですね。
だからデイサービスでも、代表がお母様の介護をしているときに、
預かってくれるデイサービスがあってすごく助かったから、それを人にしてあげたいという想いがあったけれど、それ以上にあやさんにできることを最後までしようってデイサービスのみんなで話し合って預かることを決めたと言っていましたよ。」
と教えてくれました。
そして祖母が旅立ってしまったあとに、デイサービスの方々がお線香をあげにきてくださってスタッフさんは
「あやさんは一番優しいおばあさまだったんです。だから私がいつも、いつも癒されていました。」
と言って涙を流してくれていました。
これまでにも途中で入院してしまった病院で、お夕飯の時間にみんなで食堂に集まっても、
内向的な祖母はまわりのおばあさんたちに自分から話しかけずに
話しかけてもらってニコニコしている状況でした。
まわりのおばあさんたちに
「たくさん話しかけてくださってありがとうございます。すみません、祖母は自分から人に話しかけるのが得意でなくて…」
とご挨拶をしたときも
「いいんですよ。おばあちゃんは優しい人ですよ。こちらが話しかけると、いつもニコニコして笑ってくださるのよ〜。だから私も嬉しくて話すの」
と笑顔で言ってくれました。
そんな祖母を見ていて、
人への優しさは自分が困っているときに助けてもらったり、
まわりの人が見守ってくれて返ってくるのだと感じました。
色々な人がそんな祖母のことを
「いつでも誰にでも、すっごく心の優しいおばあちゃんで」
「いつもニコニコと可愛い笑顔をしたおばあちゃんで」
と言っていました。
それはとても喜ばしいことであり、
孫であることを幸せに思うことでもあります。
祖母はどんなときでも本当に優しくて、たくさんたくさん可愛がってもらったので、
今もまだ思い出すと涙が溢れるし、
亡くなってしまった直後は久しぶりに無気力な生活を一週間ほど過ごしました。
でも「人が死ぬのは3回ある。」というのをちょうど『妻が願った最期の「七日間」』という宮本英司さんの書籍で読み、
そしてワンピースのチョッパーと恩師の話しを教えてもらったりして、
祖母のことを忘れなければいいんだ。ということで、それを大切に私も日々を過ごしています。
ところで、祖母を亡くして一週間の間にあることにも気が付きました。
それは悩んでいるうちは、解決ができるから悩むのであって
どうにもできないことではないということです。
上手くいかないと辛いなと思ったり、落ち込んだり、
挑戦すればするほどあると思います。
私も何度、これまでの生活で悩んだことがあったのか計り知れません。
けれど
人の「死」というのは、私が悩んでもどうにもできないことでした。
落ち込んでも、悲しんでも、何度涙を流しても、目の前の現実はなにひとつ変わりません。
だからこそ、上手くいかなくて悩んでいるときは
どうにもならない現実ではないはずだから、
自分の理想やゴールに対してどうするべきかを考えて動いて、失敗しても積み重ね続けることが大事であるし、
あとは周りの人を大切にしていたら、(もちろん失ったときのダメージは大きいけれど)それに替わる幸せはないように思います。
なぜなら人との繋がりは自分だけの努力だけではどうにもできないものであり、だからこそ自分だけでは感じることができないような幸せをもたらしてくれるからです。
なのでこれからも私自身が社会に対してやりたいこと、
それは女性が自分らしいことを仕事にして豊かなライフスタイル(本人にとってプライベートと仕事の理想のバランス)を送る社会をつくりたいのですが
その目標を叶える上で大変なことがあっても悩んでも、
それは解決策があるからこそだと信じて進んでいきたいです。
そもそも女性が自分らしいライフスタイルを叶える手段として
私は祖母の介護を個人事業主という働き方で支えることができ、
「時間の自由な働き方は家族を大切にできるな」
と実感したので、
祖母がいての女性起業家支援だと思っています。
そのことを念頭に忘れず、日々精進致します。
自己満と忘備録の長いブログにはなりましたが、
ここまでご一読くださりありがとうございました!