日頃お世話になっているみなさまへ
この度、私は〝女子大生ライター〟という肩書きを辞め、
次年度である明日から
フリーランスのライター/イベントレポーターとしてスタートすることをご報告します。
思えば12年間以上感じていた
〝夢への一歩〟を歩み出しました。
家柄、母が専業主婦の家庭で育ち、
高校を首席で卒業し、簿記1級も高校在学中に取得をするなど
キャリアウーマンだった母が
「働きたいな」
「仕事は楽しかったな」
と口にしていることを幼い頃から何度となく聞いてきました。
そのため
「そっか。仕事をするって楽しいことなんだ!」
「働いている女性ってかっこいいな」
と、物心ついた頃から働く女性に対してずっと憧れを感じていました。
結婚もしていない私が、
ここまで女性の家庭と仕事の両立に着目するのは自分のこうして育ってきた環境からです。
けれど、幼稚園の頃に3年間ずっと絵日記を書(描)かせ続けてくれるなど
母が自宅にいてくれることに感謝もしていたので、
家にいながら仕事をするにはどうしたらいいのかと考えました。
(↑卒園式にて。3年間絵日記をかき続けた表彰です。)
そこで思いついた小学生のときの夢は
「お家でお店をやること!これなら子供もお母さんも幸せになれる!!」ということでした。
そして親友にも呼びかけ、
「どこのお店よりもお客さんに喜んでもらえるお店をつくろうね」
と交換ノートでお約束していました(笑)
こうした働き方をすることが、私なりの幸せになれる最善策だと感じていたのです。
形は違えど、自分で人生を進めていくこと、また仕事時間を選んで生活できることを決められたことは12年以上前の想いの一歩目を進んだ気持ちです。
そんな私にとってのこの1年、
今までと比べると、憧れに大きく近付くことができた1年でした。
私の人生の中での壁は、何度か以前のブログに書いているので今回は省略します。
いつも、そしてこれからの自分も大切にしていきたいと感じている、3つの〝言葉〟をご紹介したいと思います。
目次
「3回できたときが本物」
これは高校時代に陸上部のコーチが教えてくれた言葉です。
私が初めて1,000mを、ずっと乗り越えられなかった3m40s台で走って舞い上がっているときに、
「おめでとう!!」とコーチもみんなも一緒に喜んでくれました。
けれど少し落ち着いたあとにコーチに言われたのが
「やったじゃん!だからこれをあと2本達成してね!
3本できたときが本物の実力なんだよ。」と。
つい2週間ほど前、私がものすごくお世話になっている方に企画の相談をしていると
「1は運で2は努力。3が実力。
だから3回できてようやく自分のもの。」
と聞いて思い出しました。
陸上において私は、1,000mを3m22sで走ったという奇跡の1回がありました。
中学校1年生のときに1,000mで6m30s近くかかったところから、
6min,5min,4min…と。そして4minから3m50s台。
3m50s台から40s台と3回以上出して更新してきました。
運は実力のうちといいますが本当にその通りだと陸上競技は教えてくれて、
そもそも中学校1年生の頃の自分では、どんな奇跡が起きようと運がよかろうと1,000mを3m20sでなんて走れなかったのです。
4minの自分でも無理。
3m30sはたしか3回も出せていないのですが、
40sで走れる自分にはなっていたので、その先の運が訪れました。
運を掴める実力のある自分になること。
高校の陸上競技からは、そんなことを教わりました。
「弱さとは、自分のことでいっぱいな気持ち。強さとは、人のことを思いやれる行動。」
これは大学で陸上競技部を引退した自分がその翌日に残していた言葉です。訳あって短距離に種目変更し、大学での陸上生活はボロボロでした。
そんな私に、あるときコーチが叱った言葉が頭に残っていました。
「いいか、上村。
お前は遅いんじゃなくて弱いんだよ!だからタイムも出ないの。
まずはお前の弱さからどうにかしろ!」
このときの私はタイムが出ない、中学生よりも100mが遅い自分に劣等感しかなく、周りが全く見えませんでした。
陸上の勝ち負けにおいて、タイムが全て。
僅かな貢献すらできず、むしろ足を引っ張っているだけの私に
それでも優しくしてくれる同輩や先輩、後輩がいてくれました。
そういう人の姿を見て
自分勝手でいる自分との違いに気が付いたときに、
私が弱いと言われていた意味…
自分のことしか見えていない気持ちと
周りの人が自分に接してくれる行動の違いにはっとしました。
そこからタイムは速くなり…
というのがキレイな話しなのですがそうもいかず(笑)
タイムはボロボロだったのですが
ウェイト・トレーニングの数値は飛躍的に上昇しました。
短距離の遅さもひどいのですが
ウェイト・トレーニングは別の意味ですごいので、ここには書かないでおきますが・・
大学での陸上競技からは、人としてものすごく大切なことを学びました。
あとは体力があることと体調管理が得意なのは、陸上競技のお陰にほかなりません*
「転んでもすぐに起き上がるんだよ!」
これは私の22歳の誕生日に、その3ヶ月半後に亡くなった大好きな祖父が言ってくれた言葉です。
そのときも病によってボケが始まり、会話も飛んでばかりでままならなかったのですがそれでも病室を出ようとする私に、
それも私の誕生日に言ってくれました。
8/7生まれという親近感からも、七転び八起きという言葉はすごく好きです。
7と8が逆転しているので「私は逆境にこそ強い!」と勝手に捉えていますが(笑)
しかしこの日が過ぎ…
次に病室へ行ったときは口もほとんど開けず
会話をしたのはあの日が最後でした。
けれど、どんなことも結局は諦めるか続けるか。
物事がどうなるのかは
祖父が最後に話してくれた「転んでも起き上がって」
の一言に尽きる気がしています。
(菜の花の写真は、祖父がお庭で育てた最後の菜の花です。)
以上が、これまでの人生で出会ってきて、
大切にしている、そして大切にしていきたい言葉の数々です。
次の『ご報告』ができるのは、いつどのようなタイミングとなるのかわからないので、経験からまとめてみました。
私が今のようにライターとしての道を切り拓けたのは
自分の努力以上に周囲の人があってだと思っています。
私がライティングに今のように自分のチカラを信じる前から
「あなたの文章は心に響くよ。」
「菜穂の文章を読むと元気が出るから大好き!」
と声をかけてくれた方々がいました。
そして自信がなかった私でも
そこに気が付くきっかけを与えてくれた方がいたり、
そして今度は気がついた後に
「ライターやります!!」
と言うと、自分以上に私を信じてくれる方々がいました。
一番はじめに仕事をくれたのは、「ライターやりたいなら、うちでもやりなよ!」と一緒にフリースペースの活動をしていた代表が声をかけてくれたことが始まりでした。
それを飛び火に、多くの方が仕事をくれて今の私があります。
切り拓くきっかけは人の助けが必要かもしれません。
けれど、その先の道を持続できるかは自分次第のはずです。
もちろんまだまだスタートで、いろんな意味でここからが勝負なのですがそんな夢への第一歩を踏み出せたことを嬉しく思うと共に周囲のみなさまへは感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、ひとりひとりが個をブランディングできて、
自分の好きなこと・得意なことで人へ価値を提供できる…
〝ひとつのメディアとなれる〟
そんな人を増やすべく今後ますます精進していきます。
女子大生ライターという肩書きは変わり、
今後のお仕事内容は
『イベントレポーター』→ターゲットは女性や学生など、私がこれまで経験もしくは今の自分と重なるものがあるイベントですと書きやすいです
を主軸に、
・女性向け記事のライター
・インタビュアー
をします。
そしてメディアやWebに強くなりたいなと思っています!
今後とも何卒よろしくお願い致します。
長くなりましたが、ご一読くださったみなさまありがとうございました!
2015/03/31
上村菜穂