「〝自信〟と〝自己肯定感〟って何が違うんだろう?」
女子大生のキャリア支援としてディスカッションをしている中で
ある日の朝、女子大生の子が言ってくれた一言です。
私はいずれの言葉もわりと頻繁に会話で言っているし、
感覚で違いを感じて適切なものを使っているつもりでしたが
改めて違いを言語化するならばどうなるのだろうと考えてみました。
さて、このBlogを読んでくださっている方はどう考えるでしょうか。
私が思うに
自信→自分を信じること
自己肯定感→自分を認めること、受け入れること
だと捉えています。
女子大生の方々にお伝えしたのは
「自信は自分を信じて動き出すこと。
自己肯定感の方が感覚的なもので、自分を認めたり受け入れたりすることなんじゃないかな。安心感のような。」
とお伝えしました。
少し余談を挟みますが
また、質問をしてくれた女性とは別の女性が
「私は人から認められたい欲求があって、何がやりたいのかよくわからない。
友達はいるし人間関係で困っているわけではないけれど、孤独を感じるときがあります。」
と話してくれました。
これに対して私もすごく共感します。
いや、正確に言うならば、共感していました。過去の自分なら。
学生の頃は、今の自分では驚くくらい
「人に認められたい」
とよく思っていました。
けれど今、目の前で女子大生の方が
「人から認めたい」
と言ったときに思った感想は
「私も学生の頃はそうだったな」
ということです。
ちなみに1年半前の記事でこんなものがありました。
それくらい今は、人から認められるか否かはどうでもいいことになり、そもそも関心がなくなりました。

では認められたかった私が、「いつ」「なぜ」認められることに関心がなくなったのかを冷静に思い返してみることにしました。
一言で答えをまとめると
『人から言ってもらう〝ありがとう〟の質』
です。
学生の頃、座学は真面目に聞いていたり
ノートにまとめることも得意だったので
テスト前にノートを貸したりしました。
それで「ありがとう」とよく言ってもらいました。
多分、私の大学生活は
ノートを貸したことに対する「ありがとう」が一番多かったんじゃないかと思うくらい、
人に何かをしてあげることの質が低かったように思います。
あとは種目変更もしたことも大きく、
部活(陸上部)ではみんなより実力がはるかに下だったので
「人より下準備をしなきゃ!」で動いたのでそこでもお礼を言ってもらっていたかもしれません。
けれどこのときの「ありがとう」は仕事という名の下準備や片付けをしたことに対する「ありがとう」でした。
一方で私も部活の同期や後輩、先輩にたくさん「ありがとう」と言いました。
けれどその「ありがとう」は私のように誰がやっても変わりないようなものではなく、
感謝の「ありがとう」だったのです。

ひとつエピソードの例を挙げるならばこんなことがありました。
3年生のときも相変わらずタイムが遅かったので、
中学・高校時代から活躍していた1年生の後輩女子たちまで短距離走の指導やトレーニングを教えてくれました。
そんな感じでタイムだと全く叶わないし
コーチには「お前が一番遅いんだから下準備を全部やれ!」という指導があり
私もこれに関してはごもっともだなと思ったので、
施設の開場時間も関係なければ
授業もない長期休みのときは一番に行って準備をしていました。
けれどそんなときにひとりの後輩(彼女も優秀な選手)がグラウンドに到着するなり
「なんで菜穂先輩がひとりで準備しているんですか! 私たち1年の仕事ですし一緒にやりましょうよ^^」
と言って声をかけてくれたことは今でも鮮明に覚えているくらい嬉しいことです。
その言葉に対して私が言った「ありがとう」と
自分が人へしていたことに対する「ありがとう」の質の違いは一目瞭然です。
後輩に言った「ありがとう」は
私が辛いとき、惨めなとき、孤独なときに寄り添ってくれたことへの「ありがとう」でした。
だから今でも心に残っています。
今でこそ振り返って恥ずかしいのは、
「お前が一番遅いんだから下準備を全部やれ!」
という指導があったときに
「みんなのためにできるサポートをしよう」
ではなく
「自分の経験と実力が一番下だからやろう」
と思っていました。
伝わる人にはわかると思うのですが、
このニュアンスもいかに自分にベクトルが向いていたことか。
これもひとつの
「自分が認められたい」
ということを根本に思っていた表れだと思います。
だからこそ私はコーチに
「上村が一番弱いのはタイムじゃないから。もっと考えろ!!」
と叱られていました。
そのときは全くわかりませんでした。
実力が一番なかった私の弱さがタイムではないことが。
けれどそこから引退数日前にある出来事があり、
コーチの言葉が身に沁みてわかりました。
私が本当に弱かったのはタイムではなく、
人のことを考えることができずに自分のことばかりだったということを。

承認欲求は必要なことだと思います。
むしろ全くない人の方が「いるのかな?」というくらい、稀なのではないでしょうか?
私もだいぶ関心がない方によってきてはいるのですが
それでもどこかにきっとあるはずです。
だからこうしてブログを書いて発信までしているし、
きっと見た目を気にかけ(何が自分に似合う服なのか・メイクなのかを考えたり、太らないように体型のコントロールをしたり)
家を出る時間の2時間以上前に起きないと「寝坊した」とカウントしてしまう生活をしているのもある種、承認欲求かもしれません。
人の承認欲求があるからこそ
「安いものが売れる」のではなく「値段以上の価値があるものが売れる」ことによって
経済は循環するので、やっぱり大事なものですね。
でも「承認欲求しかない」or「承認欲求が中心」なことは問題だと思います。
そして、それによって一番大変なのは、
損をしてしまうのは他ならぬ自分でしょう。
もし今、かつての私のように
承認欲求ばかりの自分の人がいるなら…
その状況から変わるためには
自信をつけ、自己肯定感を上げること
というのが私の経験からの答えです。
私が思う具体的な方法は
人から質の高い「ありがとう」をたくさんもらえる人になること。
これに尽きるのではないでしょうか。
ペンを落としたときに拾った「ありがとう」は明日は覚えているかもしれないけれど、1年後はお互い忘れているでしょう。
しかし誰かが辛いとき、本気で悩んでいるとき、
もしくは相手が幸せになったり喜ぶにはどうしたらいいのかを考える。
そして行動したら
きっとそれはお互いにとってずっと忘れない
「ありがとう」
になると思います。
ちなみに昨年のお誕生日のときに書いた記事こそ
角度は違うけれどこの話にすごく近いことを書いています。
そうして人にベクトルを向けていると
自分の存在価値にも気が付けるので自分を受け入れることができ:自己肯定感
「これをやってみよう!」を何度も積み重ね続けます。
おそらくその中でたくさん失敗すると思いますが
それを乗り越えた先に自分を信じられる:自信
がつきます。
ちなみにその過程の苦労話をどう生かすかはこちらの記事に書いていました。
http://nahouemura.com/2017/07/30/painful-life/
そうして自分自身が変わったら自分の人生が変わっていくので
「認められたい」
という欲求で自分を失ってしまっているなと感じている人は
人にベクトルを向けるのがオススメです^^
もちろんみんなに対してベクトルを向けるのは物理的(時間、身体はひとつ)にきっとできないので
自分の大切な人たちから、そしてその輪を広げていくイメージでしょうか。
久しぶりにこうしたあり方の記事を書きましたが、なにかご参考になれば嬉しいです。
上村菜穂 プロフィール
女性キャリア支援・PRブランディング
20代女性向けの集客やPRが得意なライターとして学生からフリーランスとして独立。
14歳でメールマガジン20,000人・恋愛部門1位を取得。歴代最年少記録。
東急グループ『GOLMAGA』での企画立案、サイバーエージェントが運営するアラサー女性向けメディア『by.S』でライターを担当。
『楽天大学』にてライティング講師、東京大学・学園祭2016年で『教育のできない人は起業を諦めなさい』にて女性唯一のパネラーに選出され登壇するなど、登壇は延べ1,000名以上の前で行う。
自身の開催イベントでは女子大生を中心とした20代前半女性延べ600名以上集客してきた。
現在はこれらの経験を活かし、ライター業に加えて女性の起業・PR事業をしている。
またNPO・Schick Woman(粋な女性)のコミュニティー代表としても活動中。
女子大生ライターからフリーランスのライターになった上村菜穂がお届けする
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〝品のある可愛さ〟をコンセプトに発信中。
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