自己嫌悪になってしまったときは○○○○を承認すること

今日は久しぶりに、大学時代の陸上競技をしていた時のコーチに会ってきました。

そしてそれは自分が欠けている、ダメな点に向き合ってくる時間でした。

 

そもそも1年前の今頃は、何もない自分に嫌気さしていて

けれど、そんな私でも「ライティング」というものひとつ見つけたら

人生が見違えるほど、

いえ、正確には自分の心の持ちようが見違えるほど変わって

その先にある機会が変わりました。

 

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大学時代に感じたコンプレックスが大きすぎて

陸上・短距離で全く結果が出せなかった自分に嫌気がさしていました。

 

部活のみんなに会いに行かなきゃと思っても、

いつも最終選択は会いにいくことを選べない自分。

 

理由はよくわからないけれど、

ライティングのお陰で変われた自分が

短距離やっていた自分を思い出すときに、

同時にダメな自分を思い出すことになってしまう気がするという

根拠のない言い訳ばかりをしていました。

 

 

けれどコーチと偶然メールのやりとりをする機会があって

実は会うことを断ろうと思っていたのですが。

 

共通の友人・知人の方を通してお茶の約束をしていた女性の方が

大学では体育会の野球部のマネージャーとして

サポート経験をある話をしてくださいました。

 

とても素敵な考え方をして、行動する女性だったので

初対面にも関わらず(今はちゃっかり慕わせていただいていますが^^)

「こんなコンプレックスをもっていて、

だからダメな自分に戻る気がして会いたくなくて」

という話をしたところ

 

「うーん、マネージャーとしてサポートしていた身としては

できるだけの努力をして、それでも結果が出せなかったなら、しょうがないなって思う。

もちろん結果は出してほしかったけれど、できることやっていたんだよね。

 

むしろしょうがないというよりもこっちが悔しくて、

菜穂ちゃんのこと変わってあげたい!って思う。

 

けど今その悔しさバネに頑張っているなら、コーチも嬉しいんじゃないかな?」

 

と背中を押してくださったお陰で、コーチと会うことができました。

 

 

 

初めの方は何を話したか記憶できていないのですが

本当に驚いたのは、

「できるだけの努力をして、それでも結果が出なかったらまあしょうがないんじゃない?

大学生は、中高生の身体とは違うし。

 

部活なんてあれは教育だからね。

それよりもっと得たものはあったでしょ?」

と、肩を押してくださったマネージャーさんと同じことを言っていたことです…!

 

 

そして私は週5〜6で練習をしていたというところばかりに着目をして

結果に嘆いていたのですが、

 

(※以下の文章は「コーチ」、『私』です)

 

 

「君には時間が足りなかったんだよ。」

と一言。

 

そして続けて、

「ある有名な音楽大学の例えって知ってる?

 

300人の学生のうち、

100人は世界に羽ばたく1人なった。(A)

100人は有名な音楽団員の一員になった。(B)

100人は学校の先生や教室を開いた。(C)

 

もともと同じくらい才能があったこの300人。

結果をわけた要因は…?」

 

『時間ですか。(さっきの文脈的に)』

 

「そう、時間。

Aは7,000時間の練習をして、

Bは6,000時間の練習。

Cは5,000時間の練習しかしていなかったんだよね。

 

つまり1,000時間で格差が生じたの。

 

1,000時間とは

1日1時間だったら3年間、

1日3時間だったら1年間。

 

ただし、この1時間・3時間はただやっているだけではダメで

1%、いや0.1%でいいから、昨日よりいい自分になるくらい集中をしてやることだね。

 

と。

 

 

ここまですごくいい話

ではあるのですが、やっぱり気になるのは自分のダメさ。無能さ。無力さ。

 

『確かに一流になれる時間数の努力をできていなかったことは承知なのですが。

例えば、100点満点のテストで90点を95点にすることと5点を10点にすることって難しさが違くないですか?

 

むしろ、5点にも達していなくてずっと3点だった気分なんですよね。』

 

実は私が囚われていたことはここのこと。

みんなと比べて遅かったことではなく、

初心者で始めたのに最初に出場した大会と引退の大会。

100mで1秒…どころか0.5秒も速くなれなかったことが何よりのトラウマ。

(→テストでいうと、本当に3点レベルでブログに書けないくらい遅い。)

数年間の努力が実にならない…

〝全く〟実にならない。ということもある現実があるということ。

 

 

それに対してコーチは

「あのさ、学校のテストで秀、優、良、可…不合格ってあるじゃん?

ボーダーラインいくつだっけ。」

 

『確か60点ですね』

 

合格ラインは60ね。じゃあ、3点でも59点でも結果が不合格には変わらなくない?

しかも君、本当にタイム変わっていないの?

4年生になる前の春合宿で出したタイム、初めから出せたっけ?」

 

『いえ、全くそんなタイムでは走れなかったですね』

 

「ほらね。3点のままではなかったでしょ。」

 

 

 

 

 

引退したのが4年生の5月末なので2年前。

なんだかこの2年間、

結果に捉われすぎて自己嫌悪になっていた自分が幼かったなと思いました。

 

結果も大切だけれど、それによって自己嫌悪になるくらいなら

プロセスにも目を向けて、良いところも悪いところも承認をして

次に繋げるべきだったなと、今更ながらに感じました。

 

 

また、私はそうやって過去の自分を

苦手なことは努力をしてもできない自分、と考えることに甘え

本来やるべきことへも挑戦しない言い訳をつくってきた気がします。

 

 

 

 

 

 

「そういえば、さっきライターになったって聞いて思い出したけど

ウェイトトレーニングでいつも文字変換をしていたよね。」

 

  • 補足:遅すぎたので少しでも速くなりたくて、ほぼ毎週、日曜日の夜はコーチがいるスポーツジムに行って、ウェイトトレーニングの指導を受けていました。

 

文字変換…ですか?』

 

「そう。動きをイメージで覚えるのがほとんどの選手のやり方だけど、

動きで教えても絶対に文字にしようとして言葉を探していたよ。

 

〝動きはこう!〟

では納得しなくて、

〝手の位置は○○で、足は○○まで曲げて…〟

って。

 

そうしたらウェイトトレーニングはできるようになったよね。」

 

『…

 

 

そういえば!!』

 

なにかをやるとき文字変換を意識してみたらいいかもね。

何時間、文字を書いて、どこのレベルにいくのかは上村次第だけど!

 

 

 

 

そういえば、

陸上のトレーニングで文字変換をできない動きはよくわからないままだったし

大学で専攻だった建築学が嫌になったのは文字が図面にできないことに気が付いたから。

いつも土地や周囲の環境が決まっていて、

そこに対する課題提案はできて「面白いね!」「いいところに目をつけたね」と教授に言ってもらえたときも何度かあったけれど

『それを図面にしたのがこれです!』

と見せた瞬間に

「うーん、なんか微妙」「面白さに欠けるね」「着目はいいけど、デザインがなんかなー」

そんな反応しかいただけなくて、

それを頑張りたいとも思わなくなってしまって。

 

大学がコンプレックスだったので首席欲しかったから

授業は欠席5回あるかないかのような学生でしたが(今思うと、要領悪い。笑)

〝なんか私、建築のデザインは違うかも?〟

と思ったのは、デザインコースを選んだ後の、2年生・冬でしたっけ。

 

 

文字変換のそもそものきっかけは、

5歳から習っているピアノで先生がお手本を弾いてくださった後に

「これは子犬が自分のしっぽを追おうとくるくる回っているイメージよ」

なんて言ってくれる一言が好きだったな。

 

 

 

こういう無意識の思考のプロセスは

あまり言葉にされていないので個性を気が付きにくいけれど

自分の当たり前を如何に知るのかが大切なのだと気が付きました。

 

最近、ずっとライターでいるつもりはない…なんてことを何名かの人に言ってしまったりしたのですが、

「そういえばそうかも!」という無意識のものを、

文字変換できるライターになれたら。なんて考えるとワクワクするのは

やっぱり「文字」を通したなにかが好きなのですよね^^

 

0.1%ずつでもいいから向上した自分になれるようにチャレンジして頑張ります!

4件のコメント

自己嫌悪になってしまったときは○○○○を承認すること」への4件のフィードバック

  1. このブログめっちゃいいですね。
    昔の話は、少しずつ菜穂ちゃんの姿を浮き彫りにしてくれていつも新しい発見があるので個人的に大好きです(≠変態)。

    いっぱい書かなきゃ。
    刺激もありがとうです!

    • 真崎さん
      ありがとうございます^^
      私も真崎さんのブログ、とても好きなのでとても嬉しいです*
      お互いこれからも進んでいきましょうね!

  2. なほちゃん(^^)

    コメントに色々書いてくれたって聞いてやっぱりっ\(//∇//)\って嬉しくなりました。あんな拙い言葉を受け取ってくれてありがとう♪

    結果に拘りすぎるのは、それだけストイックに上を目指したから。
    努力が実にならないという、辛い経験を受け止めきれないのは、それだけそれに賭けていたから。

    なほちゃんがどれだけ大切に、ひたむきに、陸上と向き合ってきたかがあの時話して伝わりました。

    陸上もなほちゃんにこんなに大切に思ってもらって幸せものだね!☆

    • みゆきさん
      コメントありがとうございます^^
      とても嬉しいです!

      いえいえ、全然拙くないですよ。
      みゆきさんにすごく感謝をしています(*^_^*)

      今、みゆきさんのコメントを拝見して
      あれだけ賭けてよかったなと思えました。

      いつも素敵な気付きをありがとうございます*

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